■コロンボ空港に到着
2006年2月9日(木) 13:25成田発
予定通り離陸
2月9日(木) 23:25コロンボ着 予定通り着陸 コロンボ国際空港が、やっと国際空港らしく改修されているのに、ビックリしました。
もはや、タラップをおり、空港までバスに乗り込む必要がなくなりました。
成田空港のように、歩く歩道ができていました。
日本の建設会社が施工したとのこと、日本の空港によく似ているわけです。 入国手続きもスムーズで、以前のように何時間も待たされることもなく、快適でした。
荷物受け取りのところから、以前の建物に接続されていました。
そのせいか、なかなか荷物が出てこないので、プラスマイナスゼロとなった次第。
ロッシー二さんが迎えにきてくれました。
1年ぶりの再会です。 ■文部省の方と面会、Tea
SHAKTHI 挨拶
2006年2月10日(金) 朝、6時前には目が覚めましたが、まだ薄暗く、7時近くにやっと明るくなりました。
周りを眺めれば、まさにスリランカ、椰子の木々が空高く聳えて南国ムードいっぱいです。
スリランカを実感します。
朝9時に、文部省の方との面会が、アレンジされていました。
忙しい方ゆえ、私たちのために、朝一番に面会時間を特別とってくださったとのこと。
津波被害にあった学校への、別件の寄付活動の件でお会いしました。
その後 Tea SHAKTHI
の事務所を訪れ、挨拶をしてきましたが、
今回、またチェアマンが変わっていました。
あいにく、チェアマンは留守で、お会いできませんでした。
後日再訪する予定です。
それにしても、よくトップがかわります。
コロンボのオフィスに戻り、懐かしいメンバーに再会しました。 ■バタボラ村の農家を訪問
2006年2月12日(日) 朝、10時半、ミドリファウンデーションのLさんの運転で、バタポラ村へ、
Oさんと一緒にでかけました。
途中、お昼を食べ、バタポラ村に着いたのは3時前でした。
ミドリファウンデーションの、メンバー農家と、これから支援を受ける農家、
そしてもうすでにサポートが得られた農家を見せてもらいました。
バタポラ村でのコーディーネート役をしているNさん(以前日本で農業を学んだ)の
お宅に、伺いました。
そこに、仲間が集まっていました。
日本の豊田市で6年間、農業を勉強したという女性を紹介されました。
2年前に、この村にコロンボから引っ越してきたとのこと。
ご主人は、学校でコンピュータをおしえ、彼女は自宅で、日本語を教えているそうです。
これから、ミドリファウンデーションのメンバーとして協力したいとのことでした。
心強い仲間ができ、これからの活動がより活発になることを期待したいです。
村で支援活動が始まったときから活躍している農家を訪れました。
彼女は、コンポストを利用し有機肥料を作り、苗や植物を育て、村の農民に分けています。
それらの苗からできる野菜や果物の評判が、とてもいいとのこと。
2年前から、お茶の栽培もはじめています。
昨年結婚し、ご主人と両親の協力を得て、バタポラ村で中心になって活躍している女性です。
こちらの家にはコンピュータも設置されていて、学校の生徒たちが数人習いに来ているとのこと。
ただし、インターネットはどこか壊れていて、現在使えない状態とのことでした。
自転車も提供されて、有効利用されていました。
次に、シナモンを栽培して生活している農家を訪れました。
おばあさんを含む5人家族で働いているという農家です。
新しく、ミドリファウンデーションのメンバーになりたいと申し出ている農家だそうです。
牛を1頭飼っています。
主は、牛の餌を取りに行っていて、留守でした。
少年が留守番していましたが、家らしき建物の一部は屋根もなく、室内は真っ暗で、
たいそう貧しい農家でしたが、広範囲にわたるシナモン畑でした。
山の上の方で、シナモンと野菜を栽培している農家を訪れました。
こちらの農家には、井戸の水汲みをしなくてもすむように、モーターをミドリファウンデーションから
提供されて、数日前に設置し終えたとのこと。
水を溜め置くタンクやホースなどは自分で調達し、仲間の手伝いで、設置したそうです。
とても便利になって、たいそう喜んでいました。
牛を洗うところにも水が引けるようになり、シャワーができるようにもなり、また畑に
水をまく作業も数倍楽になったそうです。
この農家では、お父さん一人が、かなり広い範囲の畑で有機野菜の栽培に取り組んでいます。
山の下のほうでは、水はけをよくするために、堀を作り工夫していました。
野菜が美味しいと、村で評判がいいので、頑張って手をかけて育てているとのことでした。
最後に、若い青年がお米と野菜を栽培しているという農家を見せてもらいました。
彼が、試験的に苗を30cm間隔に田植えした水田には、穂をつけた稲が実っていました。
他の田にも穂が実っていましたが、収穫の際に比較してみるとのこと。
あと1〜2か月で収穫だそうですから、ただ種をまいただけの稲の穂と、
収穫量を比較できるでしょう。
とてもよく働く青年だそうです。
今回、全部で12軒の農家が、ミドリファウンデーションの活動に協力してくれていました。
少しずつではありますが、これら12軒の農家の人々が協力し合い、
お互いの問題を一緒に考え、助け合って取り組んで行けるようになるといい、と思いました。
月に1回の会合が、実り多きものになっていくといいなぁ、と思います。
5年の歳月がかかっていますが、わずかですが、形が見えてきたように思えました。 夕暮れ迫るバタポラ村を後にし、ヒッカドゥアにあるホテルにもどりました。
道中、津波で大きな被害を受けた村の前を通り過ぎました。
明日また同じ道を通るので、昼間はっきり見ることができると思います。 ■学校図書室などへ本の寄贈
2006年2月13日(月) きょうは、バタポラ村の、学校図書室と地域図書館を訪問、
本の寄贈に立ち会いました。
校長先生から、津浪のときの話をうかがい、当時の大変な様子が目に見えるようでした。
津浪被災後6か月ぐらいの間、避難してきた人々に学校を開放したそうです。
現在では、避難民の子ども数人が編入して、通っているとのことでした。
当時、6000人の避難民が、この村に、アンバランゴダ地域から逃れてきていたとのこと。
現在、60家族が、まだこの村に、仮住まいしているそうです。
また、50件の新しい家が建設中、
この村に引っ越して来る家族のようです。
デンマークやドイツからの支援で、アパートのような共同建物が数軒建てられていましたが、
まだ入居している気配はありませんでした。
そのあと、アンバランゴダにある学校の図書室を訪れました。
突然の訪問でしたが、図書室は、生徒と先生で込み合っていました。
生徒数のわりに、図書室は大変狭く、本の数も少ないです。
充分対応できている状況ではありません。
学校の図書室は、先生方も利用しています。
本の好きな人たちが多いとのこと、
寄贈された本も、役立つこと間違いないと思います。
今回訪れた学校の図書室で出会った生徒さんたちに、日本を発つ前にTさんより
寄付金と一緒にお預かりした手作りのしおりを差し上げました。
どこでも、とても喜んでくださいました。
次に、津波で大きな被害を受けたアヌンガーラの学校図書室に、本を寄贈してきました。
アヌンガーラの学校長は津浪の日、日曜日の朝でしたが、図書室で仕事中、被害にあい
亡くなられてしまったそうです。
海側の壊滅した高校の校舎跡は、空き地になっていました。
図書館跡はそのままでしたが、臨時図書室が他の校舎にありました。
そこには、いろいろなところから寄贈された本と本箱が並んでいました。
遅い昼食をとってから、バタポラ村に住んでいる女性(日本に6年住んでいたという人)の
家に呼ばれていましたので3時半ごろお邪魔しました。
途中、まだ残っている津浪の惨状を見ながら、6時過ぎホテルに、もどりました。 ■バタボラ村で式典
2006年2月14日(火) 午後、バタポラ村の病院に寄贈された心電図と、ミドリファウンデーションの支援で
完成した薬局の建物の待合室の完成を記念して、ささやかな式典が行なわれました。
(今までは日陰もなく、炎天下で長いこと待たされていたそうです)
この病院では、津浪被災後、病院の前に1800の遺体が、運びこまれたそうです。
村人の話によれば、長いこと異臭がたちこめ、近寄りがたかったとのことでした。
被害に遭ったアンバランゴダの病院が機能しなかったため、
この村の、何の設備もないこの病院でも、フルに活躍したそうです。
式典の前に、去年車椅子を寄贈したアンバランゴダの病院のお医者さんのお宅に
お昼に招待されましたのでお邪魔し、ご馳走になりました。
そして、津浪のときの生の声を聞かせてもらい、当時の様子が目に浮かびました。
お医者さんの家が海側にあったため、もろに津浪にあったそうです。
ラジオのニュースで、インドネシアの状況を聞いていたので、津浪の第一波のあと
急いで子どもと家族を連れて、車で北に必死に逃げて助かったそうです。
最初に津浪が押し寄せた後、次にまた大きな津波があるという話を思い出し、
周りの人々にすぐ逃げるよう呼びかけたそうですが、ほとんどの人が信じなかったとのこと。
最初の津浪直後5分のときの写真を、見せてもらいました。
写真を撮る時間の余裕があったのだと、びっくりしてしまいました。
津浪のときの生の話をいろいろきかせていただき、天災の恐ろしさに驚くばかりでした。
式典は6時過ぎに終了し、コロンボまで3時間半かけて、戻りました。
■デニヤヤの紅茶工場訪問
2006年2月18日
南のデニヤヤにある紅茶工場を訪れました。
この工場は Tea Shakthi
とは関係のない、個人でしている方の工場です。
嘘のような距離を車で走りましたが、大自然の素晴らしさを満喫しました。
さしずめ、長野へ日帰りしてきたようなものです。
デニヤヤも素晴らしい大自然の中、都会と縁のない素晴らしい場所でした。 スリランカで初めて見学させてもらった大変近代化された紅茶工場でした。
紅茶のテースティングもさせていただきましたが、とても味わいのある紅茶でした。
ロウグローンティーの種類ですが、色も濃くなく、フルーティーで甘い香りがして
とても美味しかったです。
ロウグローンでしか採れないという珍しい茶葉がありました。
サンプルを何種類かいただきましたので、日本に戻ってからゆっくり検討しようと思います。
■アダムスピーク登山
2006年2月19日(日)
午後から、念願のアダムスピーク目指して、ハットンへ行ってきました。 頂上まで登ってきましたよ。
標高2243m、
4800の階段を上りました。
▼夕暮れ時、アダムスピークをホテルから望む
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▼登頂前の腹ごしらえ
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夜11時半、ベース地点をスタートし、山頂の寺院に着いたのが4時45分。
休み休み登りました。
途中、初めて登る人のための、ちょっとした儀式もありました。
▼月と星に見守られて
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▼休憩所を兼ねた売店
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山とばかり思っていたのですが、
江ノ島を2243mの巡礼地にしたような雰囲気でした。
形は金時山のようです。
老若男女が登れるように階段にしてあるのです。
途中の聖なる川を渡ってから4800段とのこと。
急勾配の階段を登ったのでした。
裸足で登っている人が多いのです。
3人の妊婦にもあいました。
ちょっと無理すぎるのでは、と内心思いました。 |
▼山頂まであと少しだけれど眠〜い
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Sri Pada (Adam's Peak) の頂上は人でいっぱいでした。
みんな、日の出を見たくて…。
余裕を持って出発したので、早く着き過ぎてしまい、スリランカの人たちと同じように
日の出まで1時間半近く、頂上のお寺の片隅で、寒いなか、座り込んで待ちました。
徹夜で一緒に登ってくれた人たちは、寒さに慣れていないせいか、震えていました。
周りのスリランカの人たちの多くは、充分な防寒着もなく、寒さに耐えながら
日の出まで座り込んで待っていました。
疲れ果てて寝込んでいる人もいました。
もちろん、祈りを捧げている人たちも、大勢いました。
▼日の出
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残念ながら、雲に阻まれ、
太陽全部の姿を見ることはできませんでした。
でも、刻々変わる空の色、不思議な世界です。
みんな、東の景色に見入っていたのですが、
北側の景色が、これまた幻想的な世界でしたよ。
私も変わり者で、人と違う方向を観るのが好きで、
北の景色にうっとりしていました。
とにかく、360度全てが望めるのですから、
すごかったです。
私など、ぐるぐる廻ってしまいました。
それはそれは、素晴らしい眺めでした。
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▼頂上から幻想的な北方の眺め
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▼早朝の礼拝
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▼果てしなく続く階段
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▼振り返ると山頂
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小鳥もたくさんいました。
人になれているのですね。
ウツギ科の白い小花を見ました。
野生のホクシャの木もありました。
下のほうには、薄紫の昼顔の花が
きれいに咲いていました。
あとは、いたるところゴミが散乱していました。
巡礼地とは思えないほどのゴミでした。
でも、頂上からの眺めは平和そのもの、
最高の景色でした。
そうそう、夜空も素晴らしかったです。
満天の星と月、気持ちよかったです。
描いていた山登りとはかけ離れていましたが、
素晴らしい体験でした。 |
▼夜登ったので初めて見る眺めに感嘆!
大きなパゴダがなんと小さいこと!
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▼下山後、ホテル食堂から眺めるアダムスピーク
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■進展がなくて…
2006年2月21日(火)
朝10時を過ぎたところです。
今日中にはカーゴを引き取れるはずでしたが、怪しくなってきました。
車椅子には、役所に提出すべき特別な書類が必要になったらしく、
あと1週間ぐらいかかるらしいのです。
初めて聞く話です。
今回、手続きは全て、赤十字の方たちがしてくれています。
誰がしても、政府機関を相手にする手続きには、この国では果てしなく時間がかかるようです。
自転車だけは、今日にも引き取れるようなことをいっていますが、怪しいところです。
今週1週間で、自転車と紅茶の件が進展するのか、心配になってきました。
こちらに来てもう10日以上が過ぎましたが、こちらが望むことが、なかなか進展しません。
Oさんは、先週土曜日、深夜の便でシンガポールへ向かわれました。
自転車だけでなく、Tea Shakthi の紅茶の件も、1週間以上たつのですが
会長とのアポが取れないのです。
地方選挙と重なり、事務所にあまりいないらしいのですが、困ってしまいます。
南インド行きは中止したのですが、ひょっとすると、コロンボにいても何も進展しないかも
しれないと思い始めました。
今日1日で、今週の予定が見通せるか様子をみてみます。
■進展あり!
2006年2月22日(水) 悲観的になっていましたが、キッチリさんのお陰で、紅茶の件が進展しました! きのう夕方、Tea Shakthi
のチェアマン、GM、そして工場のチーフマネジャーと
お会いすることができました。
そして、すぐ対応してくださいました。
24日には、紅茶がコロンボに届くとのこと、すごいですね。
その気になれば、あっという間です。
嘘のような本当の話です。
いつもこうだと、嬉しいですね。 ■自転車も!
2006年2月23日(木) 昨日の午後、カーゴがやっとリリースされました。
自転車は、昨日のうちに赤十字のチェアマンの敷地内に運び込まれました。 今朝一番に、現物を見に行ってきました。
コロンボから2時間ぐらい南に行ったのどかな田舎でした。
道中、初めてチェアマンのご自宅に行くのだということがわかった次第です。
ご自宅が、スリランカ赤十字のベースになっていて、
広い敷地内には、大きな倉庫もありました。
自転車は外に置かれ、しっかりカバーがかけられて
いました。
ペダルや籠を取り付けるのに、2〜3日かかるとのこと。
整備してから、津浪被害に遭った北や東の各地へ
運ぶ予定だそうです。
今日も、チェアマンはこれから北へ行かれるそうです。
自ら動き回って活躍されている様子でした。 |
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戻る途中、Tea Shakthi
の営業所に寄り、再度確認して戻りました。 なんとか、あと1週間で予定していたことをクリアできそうです。
遅くても、3月3日の便で戻ります。 日本は、だいぶ春らしくなっているでしょうか。
沈丁花の蕾が、だいぶ膨らんできているでしょうか。 ■シンハラージャの森
2006年2月26日(日) スリランカの友人のご両親が、お仲間の方たちと一緒に、シンハラージャと呼ばれる
World Heritage forests Site
(世界遺産の森)に、連れて行ってくださいました。 コロンボから、車で南に5時間ぐらいかかる、内陸部にあります。
朝、6時出発、道中お腹を満たすため、ときどき停まっては、スリランカ風菓子パンや
スナックを食べました。みなさん食欲旺盛です。 紅茶畑とゴムのプランテーションが、どこまでも続く山また山を越えて、行きました。
道が悪いので、時間もよけいかかります。
トンネルがないので、山道をぐるぐる廻っていたのだと思います。
景色はどこも、のどかで、ところどころ、スリランカらしく椰子の木が空高〜く聳えていました。
田んぼには、牛や白サギが仲良く遊んでいます。
私は、スリランカの田舎が、大好きです。 シンハラージャの森、熱帯雨林には、貴重な植物の原種や珍しい鳥、蝶々、虫、魚などなど
動植物が自然のまま保護されているのです。
ここは人が少なくて、静かで涼しく、素晴らしい森林浴ができました。
3時間半ぐらい、歩きました。
アダムスピークが、期待していた山登りとちょっと違っていたので、
このシンハラージャでのウォーキングは、とても嬉しかったです。
木々の緑に、すっぽり包まれて…。 渓流には、魚がたくさんいるのですよ。
天然のナマズを、初めて見ました。
何種類もの魚が、気持ちよさそうに、遊泳していました。 帰り際、雨に少し降られましたが、木々の枝葉にさえぎられて、あまり濡れませんでした。
とても気持ちのよい時間でした。 ベースに戻ってから、遅いお昼を食べました。
友人のお母様が、朝早くから、みんなのお昼を作って、持ってきてくださっていたのです。
ピクニック気分で、おいしくいただきました。
本当は、沢で水浴びをして帰るはずだったのですが、時間が足りなくなってしまったのでした。
4時すぎにシンハラージャをあとにし、夜8時半に戻りました。 みなさん日帰りでの遠距離ドライブも何のその、とてもお元気です。
翌日もまた早起きして、お仕事に行かれるのです。
スリランカの人たちは、みなさん本当にタフです。
どこからそのエネルギーを、貰うのでしょうか。 PS: 事務所のみんなが口をそろえて
「ヒルがたくさんいますよ」 と…。
「ヒルは、血を吸い終われば自然に落ちます。無理に取ろうとすると、毒を出しますから」
と親切に教えてくれました。
私は、ブーツにジーンズで一応ガードしたつもりでしたが、
森ですれ違う外国人は、もっとしっかり足元をガードしていました。
どうなることかと心配しつつ、ガイドのスリランカ女性も他のスリランカの人々も
サンダル履きの人が多く、これいかに…? どうなることかと興味津々。
幸いなことに、ヒルには一度もお目にかかりませんでした。
森にも異変が起きているのでしょうか…。 ■いよいよ帰国
2006年3月3日(金) これから日本へ帰ります。
3週間、いろいろな経験をさせてもらいました。
紅茶の件では、間際まで波乱気味でしたが、やっと落ちつくことができました。
とりあえず、紅茶10s分はスーツケースに入れたし…。 残りは船で…、4月半ば過ぎには、おいしい紅茶が日本で受け取れる予定です。
楽しみにしていてくださいね。 それでは、また日本で!! |