2001年7月4日

おかげさまで、無事、スリランカに到着しました。

7月2日から、予定通り日本語のLessonが始まりました。
4人の優秀な生徒さんたちでした。来週にはあと2人加わるそうです。
毎日6時間日本語の勉強です。お互いに大変です。
でもとても優秀なかたたちですので、やりがいがあります。

1年半の間にスリランカの物価が急上昇したそうで、コロンボでは
もはや1ヵ月1万円ではとても暮らせなくなったようです。
どこも大変そうですね。日本とかわらないようです。

来て早々お腹を壊し、7月3日は昼から翌朝まで何も食べずにひたすら寝ておりました。
きっと疲れと環境の変化にお腹がついてこられなくなったのでしょう。
でも本日4日には何とか収まりました。徐々に慣れてくるのだと思います。
とりあえずほっとしました。

明日は満月のため National Holiday だそうです。一息つけます。

 

2001年7月11日

みなさま、おげんきですか。
日本はとても暑いそうですね。こちらスリランカはモンスーンの季節で
時折激しい雨が降ったりしますが、おかげで涼しくしのぎやすくなっています。
日本で思っていたほどの暑さではありません。夜も大体28度ぐらいでしょうか。
こちらのほうが涼しいようですね。

2年ぶりのスリランカ、やはり大きな変化がありました。
若いきれいな女性のサリー姿がすっかり減ってしまいました。
以前訪れたときの青い空と、豊かな緑そして色とりどりの鮮やかなサリーの姿が
とても強く印象に残っていたのですが今ではあまり見かけられなくなってしまいました。
とても残念です。
若い女性はほとんどの人がロングスカートとブラウスに変わりました。
もしくはロングのワンピースです。


今、日本語を教えている所は、行政の施設をお借りしていますので、
ここに勤務する女性はほとんどがサリーを着ています。
目を楽しませてもらっています。
政府の機関では、女性はサリーを着用することが決まりになっているそうです。
いつまでつづくでしょうか・・・。
サリー姿に魅せられているものとしては、続いてほしいのですが・・・。

一日6時間の日本語の Lesson にもなれました。
やればできるものですね。楽しめそうです。
生徒たちもとても優秀です。ひらがな、カタカナも同時に書けるようになって来ました。
すごいと思います。

 

2001年7月14日

月曜日16日からコロンボの事務所のほうに移動します。
コロンボが一望でき、大海原が目の前に広がるすばらしいところです。
昨日ちょっとのぞいてきました。夕日が美しかったです。

▼サリー姿の受付嬢と日本語の生徒4人です。

 

2001年7月19日

スリランカに来て、2週間が過ぎました。
スリランカの人々の暮らしが、少し見えてきました。

こちらは、朝6時半頃にやっと明るくなってきます。でも人々は、朝5時頃には起きるそうです。
会社が8時から始まります。学校も8時から、大学は8時半からだそうです。
1,2時間かけてコロンボに通勤、通学してくる人が、大勢います。
ですから、お母さんたちは5時前には起きて、みんなの朝ごはんを用意し、 お弁当を作るのだそうです。

私にとっては極めて耳の痛い話です。

日本語の生徒さんたちは25〜27歳なのですが、みなお母さんが作ってくれるお弁当を
持参してやってきます。私にとっては驚きです。
そのぐらい家庭の絆がとても強いそうです。彼らにとっては当たり前のことだそうですが。

もっと驚くことがありました。
娘さんたちが、初めてどこかよそ様の家などを訪問するときなど、仮に仕事でも、
お母さんが一緒についてくるそうです。
用が済むまで、待たせてもらうそうです。何時間も・・・。信じられますか?
独身だからではありません。たとえ結婚していてもついてくるそうです。
そのぐらい心配しているとのこと。


男性の場合も、同じだそうです。息子の面接に、親がついてくることもあるそうです。
スリランカの家庭の50パーセントの親が、今でもそうしているそうです。
子どものことを大切に思っているのですね。日本では考えられないことです。
息子や娘たちも、素直にその親の思いを受け入れている、ということのようです。

週末なども、家族みんなで行動するそうです。
今の日本を考えると、うそのような話ですね。ただただびっくりしています。
親の思いを素直に受け入れている子供たちも、たいしたものですね。
相互の理解がうまくいっているのでしょう。
何十年前かの日本が思い出されますね。

ここスリランカでは、いまだに「おしん」が再放送され人気があるようです。
生徒から「山形県はどこですか?」 とか 「Radish Riceは?」 などと聞かれています。
「大根飯」のことですね。
名前だけはきいたことがありますが・・幸いなことに食した経験がなくて・・・。

では、この辺で。
またお便りします。

 

▼ジャックフルーツの実
▼リゾートのリスはとても人になついています。

                     

2001年7月24日

今朝未明に、コロンボ国際空港にある空軍基地で、反政府ゲリラによる
テロ事件があり、航空機が何台か爆破されたそうです。

World  Trade Center の近くに President が住んでいるようで、今朝は
通行止めがあり、すごい渋滞にあいました。

でも、私どもの生活には、こ れといった影響はないようです。
空港周辺では通行が規制されているようですが。
そんなわけですので、どうぞご心配なく!

 

《お寺にて》 たくさんの供物を売る出店 
ココナツオイルに灯をともし、祈る人たち

    

2001年7月30日

暑中お見舞い申し上げます。
日本の暑さ、少しは治まりましたでしょうか。
1ヵ月近く、雨が降らないとのこと、心配しています。

先日のテロ事件、1983年に400人のタミール人が殺されたメモリアルデーに
起こしたのだそうです。こういったテロ事件がある限り、豊かになれないと
市民はみなあきらめているようです。
国のお金がみな、軍事費へ費やされてしまうと・・・。
今回の経済的損失はとても大きい、と嘆いています。

スリランカでは6年ぶりに、節電のため7月から夜1時間半近くパワーカットされています。
日曜日と特別な日だけを除き、毎晩です。
1ヵ月だけのはずが、こちらも雨不足のため、8月も続くそうです。
国中、地域ごとに時間差で停電になります。
一時的にろうそくの炎がともされます。
ろうそくの炎もいいものです。

先日、郊外のお宅を訪れ、帰るとき(ちょうど停電だったのですが)外に出ると
蛍があちこちに舞っていました。
久しぶりに見る懐かしい光景でした。

では、また。

 

2001年8月9日

日本もだいぶ涼しくなったとのこと、安心しました。

先週の金曜日、満月の Poya Day でお休みのため、3連休でした。
一人遠出をしたく、珊瑚環礁のモルジブに出かけました。

飛行機で1時間10分。
日本人のサーファーやダイバー、若いカップルや家族連れが
同じ飛行機に乗り合わせました。

木曜日の夜、首都マーレに1泊。
翌日金曜日は、街中すべて閉まっていました。
イスラムの国でした。忘れていました。
そこで昼にはリゾートの島に出かけました。

マーレからドーニ船で1時間20分(スピードボートで30分)、
一人、インド洋の波に揺られ、船のおじさんと釣りをしながら行きました。
カツオが3びき取れました。

途中いくつもの島を過ぎ、やっと着いたところは素晴らしいビーチでした。
日本人は一人もいませんでした(イタリア人とドイツ人が圧倒的でした)。
あっという間に1周できてしまう島でした。

2日間ビーチでのんびりしました。
浅瀬でスノーケリングしてお魚を見たりしながら、インド洋の海につかりました。
やしの葉の向こうに見える満月も素敵でした。
不思議な気がしました。

満月が小さかったのはどうしてでしょうか?
茅ケ崎で見る満月はいつも大きかったように思うのですが・・・。

月曜日からまたいつもの生活に戻りました。

次回は普段の生活を紹介します。
では、また。

 

▼茶畑へ行く途中立ち寄った町の' やおやさん'
▼茶摘みから帰る母と子どもたち

▼薄暗い紅茶工場の中は、すべて手作業でした。

 

2001年8月19日

ご無沙汰しています。
あっという間に、1週間が過ぎてしまいます。

週末は、友人の紅茶畑ですごしています。
夜は、天空の星と闇の蛍に感激し、不思議な気分に浸っています。
このあたりは山の上で、天気も変わりやすく、朝夕、霧雨が降り、
紅茶畑にぴったりのところだそうです。

周りも全て紅茶畑で、さすが紅茶の国です。
山頂の急な斜面すらも、紅茶畑です。

50年前に創業された古い政府の紅茶工場を、見学させてもらいました。
目の前の出来たての紅茶の山を見て、セイロンにいるのだなあ・・・と実感しています。
この工場の紅茶は、ほとんど中近東へ輸出されるそうです。

この国では、みな、朝起きると一番に、お砂糖がたっぷり入ったミルクティを飲み、
それから一日が始まります。
ストレートで紅茶を飲む人は、ほとんどいません。
Tea Pot も使いません。
独特の入れかたをします。ちょっとびっくりしました。
ミルクも、粉のコンデンスミルクです。お砂糖と粉ミルクの消費量はかなりのものです。
紅茶も、1kg単位で買うそうです。
すごいですね。

こちらに来て1ヵ月が過ぎたころから、時々みなと同じように、手で食べるようにしています。
まだ、なかなか慣れず、不思議な感じがします。
みな手で音を立てずに食べているのに、スプーン等の金属音を立てるのが気がひけるのです。
お弁当もみな手で食べ、お互いに持ってきたものを分けあって食べます。
男の人たちが、みなそうするのです。
日本では考えられませんね。
こちらの習慣だそうです。

食べ方も日本とはぜんぜん違います。
まさに異文化体験中・・・。

次回はスリランカに伝わるハーバルオイルマッサージについてレポートします。

 

▼家族連れでにぎわう動物園
           

   

2001年9月4日

スリランカでは、水不足が地域によって、深刻になってきています。
電力節約も、1日に2時間半となり、エスカレートしています。

World Trade Center のオフィスでも、9月3日から、
夕方4時半以降、パワーカットされます。
そのため仕事を早く切り上げるようになりました。

先日、避難訓練があり、28階から階段で地下まで降りました。
これが毎日の事となると、気が遠くなります。
そんなわけで7時30分出社、4時30分終了です。
9月中ごろにはかなりの雨が降るとの予報が出ているのですが…。

日本は如何ですか?
9月になり、秋らしくなったでしょうか?
昨晩は満月でしたね。
停電のときの月明かりは、とても助かります。


ところでハーバルオイルマッサージですが、
スリランカに古くから伝わる薬草による治療法です。

私は単純に、「してもらえばきっと気持ちよく、疲れも取れる」と
気軽に考えていたのでした。
スリランカに来て、下痢が2週間続き、やっと治ったときに体験しました。
 
大きな病院でしてくれるとのこと、変だなと思いながらも、
好奇心いっぱいの私は、お願いして連れて行ってもらいました。

最初の病院では、1週間の入院を求められ、あせってしまいました。
どうもきちんと直すには、最低1週間は、かかるとのことでした。

次の病院でも、同じ内容を言われましたが、特別に診てもらえるとのこと。
ただし外国人料金でした。
不安な思いで、お医者さんの問診と診断をうけました。
日本語が少しできるお医者さんでした。
私もしっかり治療してもらいました。

個室で、若い白衣を着た看護婦さんがしてくれました。
(男の人には男の人がするそうです)。
顔のマッサージに始まり、頭にもハーバルオイルを刷り込みながら
マッサージしてくれます。

そして、ステンレス製の理科の実験台のような上で、体中ハーバルオイルを
塗りながらマッサージを40分ぐらい丁寧にします。
メンソレータムのにおいにハーブのにおいをミックスした感じです。

裏表マッサージがおわると、薬草を煮出したエキスをお湯で薄めたバスタブに入り、
頭からもかけられ、体中薬草の葉っぱでパッティングしてくれます。
そして、5分ほど静かにつかり、全て完了です。

あとはシャワーを浴びて、養命酒のような煎じ薬を飲んで終わりました。

けだるさと爽快感の入り混じった、なんともいえない心地でした。
体中の血液が、すごい勢いでめぐっているのを感じました。

1週間に1回、2度ほど続けてしてもらいましたら、すっかり壮快になり食欲がでてきました。
それ以来、極めて快調に、スリランカでの生活を続けています。

スリランカでは、薬草による治療がとても盛んに行われています。
Ayurveda Doctorといって、その専門家がいます。
スリランカの、豊富で貴重な熱帯植物のおかげで発達した治療法です。

この貴重な熱帯植物の財産が、現在アメリカに狙われているそうです。
スリランカが抱えているたくさんの赤字債務と交換に…。
こういう大国のエゴをなんとかできないものでしょうか…。

では、また。

 

2001年9月10日

先週末、生徒たちと1泊旅行で、ゴールへ行きました。
満月の前の日、月夜の明かりで泳いだのです。
すばらしかったです。最高の気分でした。
映画のシーンのようでした。
いつまでも海に浸っていたかったです。

9月5日には、JICAをおとずれました。
スリランカの教育関係者15人にお会いしてきました。
そちら茅ヶ崎へ、10月2日訪問予定の先生がたです。
茅ヶ崎の中学校へいらっしゃったら、生徒たちにスリランカの話を
してくださるよう、頼んできました。
快いお返事をいただきました。
JICAの意向だそうですが、ほとんどが理科と数学の先生です。

日本はすっかり秋の気配と聞きました。
私もそろそろ、一時帰国をします。
秋は私の一番好きな季節ですので、楽しみです。

 

▼外国人に人気のビーチ(ゴールのとなり)
 

▼地酒‘Toddy’を作るため
やしの花の蜜を
集める人たち

(ゴールへの途中で)

 

 

      

2001年10月15日

お便り、遅くなりました。
こちらに戻り、1週間が過ぎました。
今回は体調を崩すことなく、きわめて快調です。

最近は雨も頻繁に降り、以前より、はるかにしのぎやすいです。
街路樹も色とりどりの花が美しく咲き、目を楽しませてくれています
問題はただひとつ、相変わらず、夜、停電があることです。
昨日から、3時間が2時間に減り、少し助かりました。

スリランカでは、今のところアフガニスタンの影響もなく、人々は暮らしています。
地理的には近いのですが、今のところは、心配ないようです。

では、また。

 

▼ホタルが舞う紅茶畑の山。
キッチリさんのコテージが中腹に見えます。

キッチリさんはスリランカのNPOミドリファウンデーション代表です。

 

2001年10月25日

ご無沙汰しています。

こちらスリランカでも、雨が頻繁に降りましたので、一昨日から停電が1時間半になりました。
一時の4時間に比べたら本当に助かります。

今日、授業中に感動的な瞬間がありました。(ビルの28階です。)
ペリカンが空を飛んでいたのです。2羽、悠々と・・・。

オフィスの近くに広い池があります。朝はたいてい白鷺とペリカンが来ています。
毎朝、今日もペリカンがいるかなと思いながら通ります。でも、あのペリカンが飛んでいるのを
見たのは今日が初めてでした。
子供の頃の絵本の中のペリカンしかイメージに無かったので、ちょっと感動してしまいました。

 

2001年10月30日

こんにちは   日本では11月1日が、「紅茶の日」だそうですね。
1791年11月1日、伊勢の船頭・大国屋光太夫が漂着先のロシアで、女帝エカテリーナによる
茶会に招かれ、日本人としてはじめて紅茶を飲んだことに由来する由。
スリランカとの関係は無いようですが、是非、来る11月1日にはスリランカ産の紅茶をお飲みください。

「紅茶の国、紅茶の旅」の著者・磯淵猛氏(注)によると、日本の水は軟水ゆえに、スリランカの紅茶と
相性がいいそうです。
また、スリランカ以外の紅茶生産国では、茶葉の芽を摘む2週間前に、虫がつかないように
消毒するそうですが、スリランカには幸運なことにその虫がいないのだそうです。
よって安心して飲めます。

きっとおいしく飲めるのではないでしょうか。
是非、お試しください!

注:磯淵猛さんは紅茶の技術指導、経営アドバイス、紅茶研究など多方面に
活躍なさっている紅茶専門家です。ティーエッセイストとしても著書多数。
藤沢の「ディンブラ」は、彼が1979年に開業した紅茶専門店です。(sy)
「紅茶の国、紅茶の旅」:筑摩書房 
 

 

2001年11月15日

週末を利用してKandy、Nuwara Eliya へ、バスで小旅行してきました。
「紅茶の旅、紅茶の国」 磯淵猛著を読んで、紅茶のプランテーションのPioneerである
James Taylor が、16歳でスコットランドを離れ、このセイロンで57歳の生涯を終えるまで
独りで生活し続けた Loolecondera の地を訪れたくなりました。

今でも150年の歴史を刻みながら、Loolecondera Tea Estate Group として、
紅茶を生産し続けています。

マネージャーにも会いました。本の中から出てきたのではないかと錯覚しそうな人でした。
大きな声で怒鳴り散らし、威張っているように見えました。あっけにとられ、ただ呆然としてしまいました。

植民地時代の昔の様子を垣間見た気になりました。

1918年以来続いている Loolecondera Tea Factory にも行きました。

まわりはとても長閑な景色の広がった気持ちの良い所でした。
見渡す限り、緑の絨毯を敷き詰めたように、太陽を燦燦と浴びた茶畑が広がっていました。

James Taylor のバンガロー跡地だけが、どういうわけか、暗くひんやりとした空気の静寂な
一角になっていて、冷たい風が吹きぬけていきました。時が止まっているように感じました。

当時使われていた Fire Place と、石のベンチ、そしてJTが水浴びをしていた池がそのままに
してありました。

昔はもっとジャングルだったと想像できます。豹もいたそうです。
帰り道、当時から生息していたと思われる、猿の子孫の家族連れとすれ違いました。

150年前の景色と、さほど変わっていないのだろうなあ、と思いながら、山を降りてきました。 

 

James Taylor のFire Place 

《James Taylor》
1835、スコットランド生
1852、帆船でセイロン島へ渡る。
1867、ルーラ・コンデラに茶農園を拓く。
     紅茶産業のパイオニアとして偉大な
     功績を残す。
1892、ルーラ・コンデラ没

▼太陽を燦燦とあびる茶畑

▼James Taylor が水浴びをしていた池

 

2001年11月20日

昨日わかったのですが、スリランカでの日本語能力試験がキャンセルになりました。
12月5日に選挙があり、治安が悪くなり、受験者の安全が保障されないとのこと。
日本大使館のアドバイスに従ったようです。

生徒たちは、皆がっかりしています。一生懸命勉強していましたから。
全員3級に合格するつもりだったのです。

この国は全てが、政治の多大な影響を受けています。

市民も、うんざりしているようです。他国の人が考えるほど、市民は危機感を持っていない
のですが・・・。

先日の小旅行は、Colombo〜Kandy〜Loolecondera〜Kandy〜NuwaraEliya〜Kandy〜Colombo
という具合でした。

Kandy  から Loolecondera の往復だけ、ワゴン車を Hire して行ってきました。知り合いのかたに
案内していただけたので、安心して行けました。往復5時間かかりました。

それ以外は一般のバスを利用していきました。
NuwaraEliya への道のりはすごかったですよ。いくら上っても上っても、紅茶畑が続くだけ、
なかなか着きません。
1800メートルというのは相当高いのですね。びっくりしました。

 一般のバスは、ほとんど外国人は利用しません。この国で、旅を一人でする人はいないようです。

電車が一番安く、バスには3段階のレベルがあります。いずれも政府が決めた値段ですから、安いのです。
こちらの、ある程度のランクの人たちには、電車やバスに乗ったことが無いという人が、結構います。

ですから、私が一人で行ったので、みんなが心配してくれたのでした。ありがたいですね。
おかげで、一般の人々の暮らしぶりが、少し見られました。

最近、やっと停電がなくなりました。
私のスリランカ滞在期間も、残り1ヵ月です。  

 

2001年11月28日

茅ヶ崎市国際交流協会が(当時)サポートしているミドリファウンデーションが現在取り組んでいるバタポラ村で、
11月16日(金)事務所開きがありました。
今後の活動拠点として、村人の住居の一部屋をかりました。
その Opening Ceremony に行ってきました。

式典は村としては大々的でした。中学・高校の先生方や、学校にMFクラブがありそのメンバー、
そして若いスタッフメンバーの親たち、また市議会議員が参列しました。

地域の環境保護に取り組んでいるMFのスタッフである若者たちが、準備し進行していました。
とても心強く、これからの活動がスムーズに行くことを願いました。  

 

▼ミドリファウンデーション、バタポラ村
オープニングセレモニー
▼ミドリファウンデーション、バタポラ村 スタッフ


2001年12月8日

12月5日の選挙も何とか無事終わりました。
野党の勝利で終わり、多くの人々がほっとしているようです。これで来年から
いいほうに変わっていくと期待しているようです。

選挙投票後、いざこざが起きないように外出禁止令(Curfew)が頻繁に出るため、
休みになったり、様子を見て出社したり、早めに退社したりと、平常どおりになるのは
来週月曜日からのようです。

これでスリランカの未来に明るい光が射して来たようでよかったと思います。
これからのスリランカに大いに期待したいと思います。

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